【縄文中期】

BC1万年〜300年

井戸尻遺跡(長野県八ヶ岳山麓・昭和33年発見)から底に山ブドウの種がついた土器が発見されている。この土器に山ブドウを仕込み、果実酒を造ったといわれている。米、米麹を使用した本格的な酒造りはまだ行われていなかった。
【弥生時代】

BC 300年〜AD 300年

酒が米を主体として造られるようになったのは、縄文時代以降弥生時代にかけて水稲農耕が渡来(揚子江−江南−北九州)、定着してからで、九州や近畿地方での酒造りがその起源と考えられている。この頃は加熟した穀物を口でよく噛み、唾液の酵素(ジアスターゼ)で糖化し、野生酵母によって発酵させる「口噛み」という、最も原始的な方法を用いていた。この「口噛み」の酒は『大隅國風土記』等に明記されている。「口噛み」の作業をするのは巫女に限られており、酒造りの仕事の原点は女性からであることが伺える。
【大和時代】

AD 300年〜710年

この頃は大政律令が制定され、遣唐使が活躍し、徐々に国内に広まっていった酒造りは『古事記』『日本書記』『万葉集』『風土記』などの文献にみられるようになる。ヤマタノオロチを退治する際にスサノウノミコトがオロチを酔わせて退治したという逸話もある。
【奈良時代】

AD 300年〜710年

奈良時代初期に周の時代の中国で開発された『麹』による酒造りを百済から帰化した「須須許里」(すすこり)が伝承したと古事記に記されている。この『麹』が「加無太知」(かむたち)と呼ばれ、米麹による醸造法が普及するようになった。律令制度が確立され、『造酒司』(さけのつかさ)という役所が設けられ、朝廷のための酒の醸造体制が整えら、酒造技術が 一段と進んでいった。
【平安時代】

AD 300年〜710年

平安時代初期に編纂された『延喜式』には「米」「麹」「水」で酒を仕込む方法やお燗に関する記載がされている。13種類に及ぶ造り方も記されている。このころの政治は祭事であり、ハレの日の食事として酒は不可欠のものであった。宗教儀礼的要素が強く、庶民の口に入ることはなかった。また、この時代から「僧坊酒」といった寺院で醸造されたものもあった。高野山の「天野酒」、奈良、平城の「菩提泉」が特に有名である。
【鎌倉・室町時代】

1192-1573年、

【安土・桃山時代】

1582-1600年

この時代は質素を旨とする気風があったが都市化が進み、商業も盛んになるにつれ、米と同等の経済価値を持った商品として酒が流通した。朝廷の酒造組織に代わり、寺院、神社が酒を造るようになり、京都を中心に造り酒屋が隆盛し始める。京都の「柳酒屋」「梅酒屋」などが大手の酒屋として記録に残っている。『御酒之日記』のよると段仕込みの方法、乳酸発酵の応用、木炭の使用などが明記されている。このころに現在の清酒造りの原型がほぼ整ったことになる。

16世紀には、奈良で十石入り仕込み桶が製造され、寺院酒から地酒の時代へと移行していった。このころに、今日の清酒造りの完全な原型ともいえる「諸白」(もろはく)仕込みが完成していくのである。このころに蒸留技術も伝来し、蒸留酒(焼酎)造りの原型もできた。

【江戸時代】

1603-1868年

江戸時代初期頃までは、新酒、間酒、寒前酒、寒酒、春酒と1年間に5回仕込まれていた。中でも「寒造り」が最も優れていることが明らかになり、優秀な酒造りの技術集団の確保がしやすく、低温・長期発酵といった醸造条件の上からも重要視されるようになった。また、保存性を高めるための火入れ法(低温殺菌法)や歩留りを良くすると同時に香味を整え、火落ち酸敗の危険を低くするアルコール添加など、ヨーロッパにもない画期的な処理技術が開発された1698年には2万7千件もの酒造場があったと記録されている。

天保年間には、酒造用水の水質の重要性が広く知られるようになり、鉄分が少なく、有効ミネラルに富んだ水が酒造りにいかに重要であるかを実証することとなる。(灘の宮水が有名) 江戸中期には海運の発達や問屋組織の確立と共に、酒造りが発展していった。特に「灘の酒」が「樽廻船」という船に積まれ江戸に運ばれ、庶民の絶大な人気を誇るようになった。技術的には、精米歩合が80%位であった。

【明治時代】

1869-1912年

富国強兵策のもと、国は税金の収集を始め、自家醸造が完全に禁止された。明治15年には酒造場は1万6千件、生産量は55万Klと記録されている。明治19年にビン詰めが行われ、42年には1升ビンが開発された。同時期に速醸法が編み出され国立の醸造試験所が開設された。化学理論が酒の製造に不可欠の要素として広く認識された。
【近 年】

1900年〜

大正時代に1升ビンが普及し始めた。

昭和初期には、堅型精米機の発明がされ、温度管理や微生物の管理が容易なホーロータンクも登場した。6号酵母の採取、分離、純粋培養といった技術革新が相次いだ。

昭和10(1935)年頃までに、酒造の近代化、効率化に必要な計器・機器類はほぼ出揃った。

昭和14年に米の統制が始まり、精米が制限されうようになった。酒造場の統合が始まり、生産量も通常の半分に制限された。

昭和18年には特級、一級、二級という級別制度が始まる。その後、大戦を経て各地における酒造りの復興が始まった。

平成元年に級別制度が見直され平成4年に全廃となった。そして、今日の特定名称酒のように分類され、日本酒の新時代を迎えるようになった。コンピューターの発達により、コンピュータによる品質の管理もできるようになり、品質がより安定してきた。